沖縄の難しい地名と漢字

55年 前

那覇市

【那覇市にある難読地名】

・安次嶺(あしみね)
・安謝(あじゃ)
・十貫瀬(じっかんじ)
・通堂町(とんどうちょう)
・西武門(にしんじょう)

・小禄(おろく)
沖縄方言ではウルクと言い、古くから小禄に定住している人はウルクンチュ(小禄の人、小禄人)と呼ばれています。

年配者には、ウルクムニー(小禄喋り)と呼ばれる独特のイントネーションで話す方もおられます。

・奥武山町(おうのやまちょう)
沖縄には、同じ地名が各地に点在していることがよくあります。


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この奥武山町もそんな地名のひとつで、沖縄には同じ字を書く「奥武島(おうじま)」という無人島が4つもあります。

それぞれ名護市、南城市、久米島町、座間味村にあり、現在は橋や道路で陸と続いていますが、かつては離れ小島でした。

奥武山町地区も、現在は埋め立てられ地続きになっていますが、かつては同じように離島だったのです。

そしてその名は、過去、死者を弔うため無人島の洞窟に安置した風習に因み、その島のことを「青(オウ)の島」と呼んだことに由来するという説があります。(谷川健一著『日本の神々』)

また、5月の虫払いの儀式の際に、奥武島へと害虫を扇いで払ったことから「オウ=扇ぐ」が由来の説もあります。(宮城真治著『沖縄地名考』)

虫払いの儀式では、悪霊や不吉も払ったとされ、いにしえの沖縄では、奥武島は不浄を封じる島という位置づけだったことが伺えます。

 

奥武山町に関して、興味深い話をひとつ。

奥武山町の西側には「山下町」がありますが、ここには「ペリー保育園」「ペリー歯科」「ペリー餅屋」と何故かペリーとつく建物が多い。

実は山下町は、終戦直後の連合軍支配下の時代、「ペリー町」に改名していました。

「山下」が旧日本軍の司令官、山下奉文氏を思い起こさせるからと連合軍に気をつかったからだそうです。

いまでは元の「山下町」に戻していますが、その時代の名残でペリーと名の付く場所が残っているのだそうです。

戦時中「マレーの虎」と畏れられた山下氏と、この山下町には何の因果もないと思いますが、山下氏の威光もここまで及んでいたかと思うと、戦後生まれの自分にも60年前の歴史がそのまま残像としてあるような、不思議な感覚をおぼえます。

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