平成の大合併と地名
地名の発祥は、その場所の地勢や有力者の名、風習などをもとに付けられていることが多くあります。
後世の私たちでもそれを読み解くことによって、その地の歴史の一端を知る手がかりとなることがあります。
そんななか、日本の地名にとって大きな変化となったのが、2005年の「平成の大合併」ではないでしょうか。
平成の大合併とは、1999年から2006年にかけて行われた、政府主導の市町村合併政策のことです。
それまで小規模の自治体には優遇措置があった地方交付税を、政府は改革として大幅削減しました。
他にも合併特例債の発行するなどして、合併を促進しました。
この政策の目的は、自治体を広域化して財政基盤を強化し地方分権を推進することでしたが、交付税に頼らず自立していた小規模町村にとっては、合併する自治体の負債も負うことになるなど、デメリットもありました。
住民で賛否が別れ、破談となった自治体もありましたが、ほとんどは促進政策の利に乗って、合併はすすめられていきました。
この平成の大合併によって、1999年3月末に全国に3,232あった市町村数は、2006年4月には1,820にまで減少しました。
沖縄もこの波には抗えず、18の市町村が合併して6つの新自治体となりました。
合併によって誕生した新自治体は、こぞって新しい名を付けました。
所属する市議会議員たちの会議によって付けられた場所もありますが、ほとんどは一般公募を行い、人気投票で決定されていきました。
行政上のメリットがあるのは喜ばしいことでしたが、この合併事業は憂うべき足跡を残していきました。
新しい地名が、その地の歴史・特徴などを真に反映していたのか疑問のある名づけが頻発したのです。
ニュースにもなった有名なところでは、「南アルプス市」「さいたま市」などが思い出されます。
インパクトを与える意味では斬新でしたが、その土地の特色まで薄めてしまったように見えたのはとても残念です。
合併事業によって沖縄の新自治体は6つ誕生し「久米島町」「豊見城市」「うるま市」「宮古島市」「八重瀬町」「南城市」となりました。
新市名の由来をいくつか調べてみると、石川市・具志川市・与那城町・勝連町の4つが合併した「うるま市」は、「沖縄の民謡にも歌われ広く知られている」「室町時代の紹巴の註本『下紐』に〈琉球をうるまの島と云と也〉の記述がある」などの理由で名づけられたようです。
東風平町・具志頭村が合併した「八重瀬町」は、「両町村にまたがる八重瀬岳が象徴的である」などの理由で採用されました。
他の新自治体を見ても、一応はその土地に由来がある名前のようでした。
合併によって消えた町名もあるのは残念なことですが、字名などで地域にはちゃんと根付いていることがほとんどです。
沖縄旅行に行くときに最新の地図を持っていかないと混乱するのでは?と不安に思うかもしれませんが、土地に住む方の記憶にはしっかりと残っているので、会話しながら探検するのも楽しいかもしれません。
地元の人とコミュニケーションしながら歩くのも、旅の良さですね。